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2007年01月 アーカイブ

2007年01月09日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (11)

結論から申し上げると、現在の「心療内科」という標榜科名の用いられ方は、かつての「神経科」の用いられ方と酷似しています。

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (6)でも述べましたが、「神経科」とは、「精神科」の持つネガティブなイメージを和らげるための発明であると言え、「利用者側に立った医療機関の配慮の1つ」とされています。しかし、長く使用される中で、「神経科」は次第に「精神科」と同一視されるようになり(本来が同一のものなのですから当然ですが)、「精神科」と同様の偏見に晒されるようになってきました。

そこに、絶好のタイミングで現れたのが「心療内科」であった……と、少なくとも個人的には思っています。

字面からして「精神科」とは異なるイメージを備えていて、「心の問題を治療する内科」とも読める「心療内科」は、精神科受診への心理的抵抗を持つ患者さんたちを医療に繋げるための絶好の方便であると考えた精神科医が多数いたのではないでしょうか。
こうした精神科医たちのモチベーションの源は、患者さんたちに治療を受けてもらいたいという純粋な医学的熱意だったかもしれませんし、開業するにあたって「精神科」よりも「心療内科」を標榜した方が患者さんが集まりやすいので儲かりそうだという打算であったかもしれません。
いずれにせよ、少なからぬ精神科医が半ば確信犯的に「心療内科」を標榜し、一方で少数の心療内科医が当然ながら「心療内科」を標榜していることで、患者さんに混乱をもたらしていることは事実でしょう。

精神医学の立場からは、患者さんにとっての間口が広がったという点において、この事態は罪よりも功の方が多いといえるのかもしれません。
しかし心療内科という標榜名の「借用」は、精神科医療に対する偏見が甚だしいなかで行われた緊急避難的措置にすぎず、問題解決のための根本的な解決方法であるとは言えません。


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2007年01月18日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (12)

かつて精神科では非告知投薬が当然のように行われていました。

非告知投薬とは、患者さんに病名を告げずに薬物を投与することです。
もちろん、非告知投薬が正当化される状況というのはあります。たとえば、精神科でなくとも、救急医療の現場では、意識が無い患者さんに投薬を含む処置が行われますし、また行われるべきでしょう。

精神科では、病識がない一部の疾患のある時期においては、非告知投薬をせざるをえません。幻覚や妄想に完全に支配されて興奮している統合失調症の急性期の患者さんや、自殺念慮が強いうつ病の患者さんなどがこれに当たるでしょう。
このような場合でも、一定の症状改善が得られれば、大多数の患者さんで病名の告知と、その疾患の治療のために必要な治療についてインフォームド・コンセントが得られます。

しかし、以前は、多くの精神科医が、ほとんどの患者さんに対して病名の告知をしませんでした。

今でもなお、告知をしない医師がいます。

彼らの言い分はこうです。

「患者やその家族は精神科の病気というものに畏れや偏見を抱いており、病名を告知すれば動揺するし、主治医に対して陰性感情を抱く。告知を強行しても、疾患を受容できないので治療を受け入れることもできず、怠薬や拒薬、通院の自己中断へと繋がる。これは結局は患者にとっての不利益である。したがって、患者の利益を最大化するために非告知投与は許容されるべきである」


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2007年01月19日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (13)

一見もっともらしく聞こえはしますが、ほんの少し長期的な視点を持つだけで、彼らの主張の重大な欠陥に気がつくでしょう。

精神疾患の多くは長期的な治療を必要とします。この治療にはもちろん薬物療法も含まれます。

例えば統合失調症の場合、いったん発症してしまえば生涯に渡る服薬が必要です。

双極性障害(躁うつ病)においてもやはり、病相が治まった後も服薬が継続されるべきであるとされています。

それどころか近年では、「心の風邪」と、あたかも一過性の病態であるかのように形容されているうつ病でさえもまた、従来信じられていたよりもずっと長い期間、抗うつ薬の服用を続けたほうが予後が良好なことが知られるようになっています。

非告知投与は、これらの病気の急性期、特に入院している患者さんにおいては、症状改善に寄与するかもしれません。

しかし、その後はどうなるでしょう?


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2007年01月20日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (14)

退院した後も必要な治療の継続――規則的な通院と服薬には、患者さんご自身の治療への意欲が不可欠です。

患者さんが治療意欲を持つためには、判断力が回復した時点で病気に関する適切な説明が与えられ、継続的な治療の必要性を十分に理解した上でそれに同意することが必要です。

精神疾患の病名を告知することを畏れる医者はまた、精神疾患が慢性疾患であることを告げることも躊躇います。
精神の病で、一生薬を飲まなければならない――そんなことを告げることは死の宣告にも等しく、患者に与える衝撃は計り知れない。実際、自殺の危険すらある。
だから病名を告知しないし、治療期間も明言しない。

旧弊な精神科医はそう信じているか、自らの責任放棄を正当化するためにそう信じようとします。
しかし、彼らの考え方は、精神疾患や精神障害者に対する偏見に他なりません。
精神疾患に対する最も根強い偏見を抱いているのは精神科医であるというのは、何とも皮肉なパラドックスだと言えるでしょう。



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2007年01月21日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (15)

非告知派の医師たちは、診断の見立てがついていたとしてもそれを告げないわけですが、さすがにそれでは患者さんを治療に導入することができません。
病気でなければ治療の必要はないからです。

彼らは、そのような場合に用いるいくつかのツール――というか、お定まりの説明方法を持っています。

いちばん頻用される彼らの伝家の宝刀は「自律神経失調症」で、この鵺のような「病名」を告げることで彼らはいかなる治療を施してもよいフリーパスを手に入れます。

家族が語る「物語」に便乗するのも、よく使われる方法です。
家族はそもそも心因論に傾きがちで、自分の子供や親や妻や夫が精神科を受診せざるをえなくなった状況を、仕事場や学校や家庭内で患者さんが感じてきたであろうストレスと関連付けて考えます。
非告知派の医師たちは、ご家族のこの心性を利用します。
仕事場や学校や家庭内でストレスを感じていない人など存在しないので、どの患者さんにもそれなりの物語がみつかります。

そのようなストレスがあれば多少神経が参ってしまっても仕方がない。現在はストレスのせいで自律神経のバランスが崩れて色々な症状が出ている状態。休養やカウンセリングが必要だが、よく休めるように、安定剤も飲んでいただくことにしましょう――例えばこのようにして、彼らは実際の疾患や処方する薬の説明を一切することなく、発症から治療開始までのストーリーを組み立ててしまいます。


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2007年01月23日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (16)

竹を割ったような診断が下せることは稀な診療領域なので、告知派の精神科医といえど初めから明確な診断名を患者さんに伝えられるわけではありません。

急性期には病名告知が危険であったり、不可能であったりすることは確かにあるので、告知という行為に拘って患者さんがどんな状態であっても病名を伝えるといった機械的なやり方をとることもありません。
しかし診断が付かなくても対症的な治療は可能ですし、診断が付いても伝えられない場合には症状改善の後に診断を伝えればよいわけです(この場合には非告知派の医師と類似の治療導入法をとるかもしれません)。

ただ、薬の作用と副作用については、患者さんか、それが難しければご家族に説明します。
説明しなければ危険だからです。
比較的安全な狭義の安定剤(ベンゾジアゼピン系安定剤:ワイパックスやデパスなど)であっても人によっては脱力による転倒や、過鎮静、健忘といった副作用が出現することがあります。
以前に述べたように、一定期間服用すると依存性も問題になります。
SSRI(選択的セロトニン再取り込阻害薬:ルボックスやパキシル)では嘔気や嘔吐、性機能障害、そして何より自殺問題で注目されたactivation syndromeを心配しなければなりません。
抗精神病薬ともなれば、アカシジアやジストニア、パーキンソン症状に始まって、過鎮静や体重増加、果ては悪性症候群といった重篤な副作用までもが現れることがあります。

想定される副作用を告げ、どれが危険であってどれが危険ではないか、危険な副作用の予兆はどのようなもので、それが現れたらどう対処すべきか――それ説明しなければ患者さんは服薬を開始しても副作用に戸惑い、すぐに薬をやめてしまうでしょう。もしくは、事故が起こるかもしれません。



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精神科と神経科と神経内科と心療内科 (17)

非告知派の医師たちは、うつ病の患者さんにパキシルを処方する場合にも、統合失調症の患者さんにエビリファイを処方する場合にも、不安障害の患者さんにデパスを処方する場合にも、すべからく「自律神経のバランスが崩れているので安定剤を処方します」程度の説明しかしません。

彼らは副作用について説明すると患者さんが薬を飲まなくなってしまうと考えるので、そういった話題には触れたがらない傾向があります。
患者さんや家族が副作用を訴えても取り合わないのも、この群に属する医師に多いタイプの対応であるように思われます。

封建的な医師-患者関係が当たり前であった頃には、このやり方は、精神科にかぎらず通用したのかもしれません。
また、精神科治療といえば収容型の長期入院が標準的だった時代には、告知の必要は希薄だったのも確かでしょう。

しかし患者さんの権利意識が向上し、精神科といえども適切なインフォームド・コンセントが求められるようになりつつある昨今、非告知派のやり方があまりにも前時代的であることは否めません。

精神疾患の病名告知が患者さんやそのご家族にとって辛い宣告であることは違いありませんが、その辛さに共感し、支え、疾患を受容させた上で治療同盟を築いていくのが精神科医の本来の姿勢であるべきでしょう。


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2007年01月31日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (18)

長々と寄り道をしてしましまいましたが、私は心療内科と精神科の意図的な混同が、非告知投与――古き悪き時代の精神医学の弊害――の新しい形だと捉えています。

精神病だと言う代わりに自律神経失調症だと言い、精神科と呼ぶ代わりに心療内科と呼ぶ。

偏見のために生まれた必要悪と言ってしまえばそれまでですが、いずれの場合も患者さんは自分がどのような病気で、どのような治療が必要かを理解することができません。
理解する必要もありません。

こうした言葉遊びによる不適切な説明と同意、不適切な治療は、実は常に医者の側だけに一方的な責任があるものとは言えません。

むしろこの文脈における医師と患者は、一種の共犯関係にある場合があります。

自分が精神疾患であるかもしれない(もしくは、自分の家族が精神疾患であるかもしれない)と考える人が、「あなたは精神疾患ではない」、「あなたのご家族は精神科の患者ではない」と言ってくれる医者を能動的に選ぶ傾向が確かにあるのです。


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