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精神科と神経科と神経内科と心療内科 アーカイブ

2006年11月03日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (1)

はじめまして。猫山司と申します(ハンドルネームです)。
しがない勤務医ですが、ブログ開業しました。

日本における精神科医の数は十分であるとはいえません。私も含めて大多数の精神科医は、普段の診療では常に時間に追われていて、患者さんのお話を十分に聞けなかったり、疾患や治療法についての十分な説明ができていないのが現状だと思います。

精神医学に関する情報を効率的に発信する手段として、また皆さんからのご意見をいただくことで患者さんに対する私の理解が深まることを期待して、ブログという媒体を利用してみることにしました。

このブログを始めるにあたっての最初のテーマとして、「精神科と神経科と神経内科と心療内科の区別」を選びました。
かなりのそもそも論ではありますが、この4つの標榜科の違いがわかっていらっしゃる患者さんは実は少ないのではないかと感じています。
患者さんだけではなく、時には医療者でも4科の違いが十分に理解できていない場合が少なくありません。

そのため、患者さんが精神的な不調を感じられて医療機関を受診される場合、また、自分が診ている患者さんに精神的フォローが必要だと感じた他科の医師が紹介状を書く場合、しばしば適切ではない標榜科を選んでしまうことがあります。

どんな病気にも言えることですが、早期発見と早期治療が良好な予後につながります。
治療のスタートで躓かないように、躓いてしまったとしてもすぐに軌道修正できるように、似て非なるものである精神科と神経科と神経内科と心療内科の違いはぜひとも認識しておくべきでしょう。

数回に渡ることになると思いますが、まずこのテーマでお話を始めさせていただきます。

>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (2)
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2006年11月04日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (2)

まずは他の3科とのオーバーラップがいちばん少ないと思われる神経内科の説明から始めましょう。

神経内科で扱う(扱われるべき)疾患は、中枢神経(脳や脊髄など)や末梢神経に問題が起こることで生じる機能不全・障害です。

うつ病や統合失調症といった精神疾患も、脳の機能不全や障害なのですが、神経内科は精神疾患を診る科ではありません。
……やっぱり難しいですね(笑)。

神経内科的な疾患のど真ん中に収まるのは、手術を必要としないレベルの脳卒中(脳内出血や脳梗塞)、パーキンソン病や筋萎縮性側索硬化症のような変性疾患です。

CTやMRIで病巣が描出できる病気は神経内科、できない病気は精神科……という分け方がよく用いられますが、これはまずまず的を射た説明だろうと思われます(ただし、脳画像検査や神経心理学的検査技術の発展はめざましいものがあり、将来は精神疾患の画像診断が実現するのではないかとも言われてますから、この定義も風前の灯火なのかもしれませんが)。

要するに――
運動機能や感覚に障害がある場合は、神経内科を受診すべきでしょう。
そうした症状を説明しうる中枢神経や末梢神経の器質的な問題がみつかれば、そのまま神経内科で治療を受けることになります。
けいれん発作や、認知症を思わせる記憶障害なども、本来的には神経内科の守備範囲です。

逆に、気分の落ち込みや、幻覚・妄想、不眠、不安といった精神的な問題を主訴に神経内科を受診すべきではありません。

もちろん、そうクリアカットに判断できない場合もあるわけなのですが……。

次回ももう少し神経内科についてのお話を続けます。

>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (3)
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2006年11月06日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (3)

今回は前回の続きで、神経内科と精神科のオーバーラップ部分についてお話ししましょう。

クリアカットに両科を区別できないことがあると書きましたが、それは以下のような場合です。

① 神経内科の対象疾患の部分症状として精神症状が現れる
たとえば、アルツハイマー型認知症の場合、記憶障害も目立たず、MRIなどで脳の萎縮が検知できないくらいのごく初期に、高率に抑うつ症状を呈します。このような患者さんは、まず精神科で治療を受け、痴呆が進行してくると神経内科にバトンタッチ、というのが一般的です。
また、進行した痴呆では、BPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia:痴呆の行動と心理症状)と呼ばれる様々な問題行動が生じます。
痴呆は本来的には神経内科で治療されるべき疾患ですが、行動障害や精神症状が強いと一般病棟でのケアが難しくなるため、精神科での管理が必要になる場合があります。
遺伝性の変性疾患で、不随意運動を主徴とするハンチントン舞踏病では、統合失調症様の精神症状や人格変化が認められることがあります。この場合もやはり精神科との併診が勧められます。

② 神経内科疾患の治療によって精神症状が現れる
有名なのはパーキンソン病で、治療薬であるドーパミン製剤の副作用で幻覚や妄想が現れることがあります。病状によっては精神科へのコンサルトが必要となります。
また、自己免疫疾患などの治療に用いられるステロイド製剤の副作用によって抑うつ症状や「ステロイド精神病」が現れることがあります。

このような例を挙げたのは、皆さんを混乱させようと思ってのことではありません。
精神疾患と同じような症状が認められることはあっても、神経内科の病気は神経内科の疾患であるということを強調したかったのです。

本来的には神経内科の疾患であるわけなので、治療の軸足は神経内科に置いておいた方が患者さんは大きな利益を享受することができます。

精神症状はどうしても目立つので、そちらの治療が優先されてしまうことが少なくありませんが、患者さんのご家族や、そして何より医療者が、神経内科と精神科の線引きを認識した上で、両科が協働して最良の結果を目指すことが重要です。

次回は精神科と神経科についてです。


>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (4)
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2006年11月10日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (4)

今回は精神科と神経科の区別……の予定でしたが、少し寄り道をさせていただくことにします。

まず皆さんにお礼を。
まだ始めて間もないブログですが、皆さんから応援のコメントやトラックバックをいただきました。虚空に石を投げていたわけではないことがわかって嬉しく思うとともに、身が引き締まる思いがしました。患者さんにとって有用な情報を、できるだけ正確に、かつわかりやすく伝えていくべく努力していこうと思いますので今後ともよろしくお願いいたします。

本日、GoodSmileさんからいただいたコメントに、私がこの項でとりあげようとしている問題の原因のひとつが含まれているように思えました。
今回はそれについて述べさせていただきます。

GoodSmileさんのコメントを一部引用させていただきます。
> 過日、総合病院の精神科を受診しようとしたら予約がいっぱいで1ヶ月待ちと
> いわれました。
> やはり大きな別な病院では2ヶ月待ちとのことでした。

精神科を受診する場合、総合病院の精神科がよいのか、単科の病院やクリニックがよいのか――これについては個々の患者さんの診断や状態、なにより医師の質にもよるので一概にはどれがよいとは言えません。
ただ、評判が良い病院ほど初診までの待機期間が長かったり、受診できたとしても3分間診療にならざるをえないというデメリットもあります。
このあたり、日本の医療機関が抱える構造的問題+精神科医の量的不足の合わせ技だと言えるでしょう。

構造的問題というのは、専門医を受診するまでの制度の問題です。

欧米では、総合病院や大学病院の精神科専門医を受診するまでのハードルは日本よりもかなり高く設定されています。
もっとも先進的な(極端な?)医療モデルのひとつとされているイギリスの場合、大学病院の精神科を受診しようとすれば、待ち時間は1ヶ月では済みません。

イギリスではNHS(National Health Service)という国営医療制度が発達していて、住民は身体的・精神的不調を生じた場合、まず居住地域ごとに割り当てられたGP(General Practitioner)の診察を受けなければなりません。GPは、基本的にはどのような病気の初期対応もできるように訓練されたプライマリケア専門医です。このGPが、より専門的な治療が必要だと判断し、紹介状を作成した場合のみ、患者さんは専門医を受診することができます。
逆に言えば、GPの紹介が無い場合、専門医を受診することは非常に困難なのだそうです。

紹介状を作成してもらえた場合も、専門医の診察を受けられるのは数ヵ月後です。英国留学経験者によれば、精神科の場合で待ち時間は平均半年くらいだということでした。
しかし、専門医のレベルは非常に高く、診察が始まってから受けられる医療の質は高いものになります。
専門医が1日に診る外来患者数はわずか数人。当然3分間診療などはありえず、コメディカル・スタッフの質や量も充実しているため、かなり濃厚なケアがなされるわけです。
ただし、専門医療機関での治療が必要無いくらいに回復した場合は、またGPのもとで治療を受けることになります。

この日英の医療制度の違いは、専門医へのアクセスの容易さと専門医の治療の質という観点で議論されることが多いのですが(アクセスが容易なら専門医に患者さんが集中するので、3分間診療にならざるをえず、治療の質は低くなりがち→日本型/アクセスが制限されると専門医の治療の質は高くなるが、専門医受診までの門が狭く、高くなりがち→イギリス型)、他にも重要な側面があると私は考えます。

それがこの「精神科と神経科と神経内科と心療内科」のテーマとも深く関連します。
GPを経て専門医の診察を受けるイギリス型制度においては、患者さんがどの科を受診するかを選択する必要がありません。たとえば、精神科と神経内科と心療内科のどれを受診すべきかを患者さんが迷うことはイギリスではないのです。
受診した患者さんがどの科において専門的治療を受けるべきか――そういった「交通整理」のスペシャリストであるGPが、適切な科を選択し、紹介してくれるからです。

初期治療が大切なことは初回にも述べましたが、その初期治療を受ける専門医の決定をしてくれるスペシャリストがいることがイギリス型治療の大きなメリットのひとつであるように私には思われます。

英国ではプライマリケア専門医が行っているような微妙な判断を、日本においては患者さん自身が下さなければならないわけです。

次回は精神科と神経科について、です。


>>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (5)
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2006年11月11日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (5)

このブログを書くにあたって用いる資料はできるだけ皆さんが確認可能で、かつ確度が高いものを用いようと思っています。私が自分では当然のように思っている知識も、基本的には出典を探してお示しするようにしているのですが……

という書き出しにしたのは、今回のテーマである精神科と神経科の区別に関して、このような用語の分裂が生まれるにいたった歴史的展望を記した資料がないかと探していて、結局みつからなかったからです。
実は「精神科と神経科と神経内科と心療内科」の中では精神科と神経科の区別はいちばん簡単なところで、回答を先に述べてしまえば「区別は無い。精神科=神経科である」ということになります。

いろいろ調べてみたところでは例えば、厚生労働省のサイトの何階層目かに置いてある「日米の診療科別の医師数の比較(1)」という資料。
ここでは日本の精神科医数が15,460人、それに対応する米国のPsychiatry & Neurologyに従事する医師数が45,444人……と表記されていますが、この表の脚注によると「精神科は、神経科、神経内科を含む」とされています。
これをもって精神科=神経科の根拠としたいところですが、なぜか神経内科まで合算されているので使いづらい資料になっています。

脇道に逸れますが、日本病理学会・社会保険小委員会が厚労省のこの資料をもとに、人口補正を行った日米の診療科別医師数比を算出していて、それによると日本の人口比当たりの精神科医数はアメリカの0.86倍ということになるようです。
病床数の圧倒的な違いや、わが国の悪名高い「精神科特例」(←ご存知ですか?)といった要素を考えると、実質的な差はこの程度には留まらなくなるのでしょうが……

公資料以外のものを当たると様々な定義・主張が見られます。

池下やすらぎクリニックのサイトでは精神科と神経科の違いについて、
***************************************
「精神科」は躁うつ病、神経症(ノイローゼ)、精神分裂病などを代表とする病気について人間の心理面、精神面(思考、感情)、行動面での異常を人間関係や社会との関連から理解し、治療していこうとします。

「神経科」は精神科領域の病気を脳の構造の変化と心理的変化との密接な関係があることを念頭において理解し、神経系の活動と精神病との関係の観点から、さまざまな診断検査を通して、脳をより生理学的、化学的にみていこうとする傾向があります。
***************************************
と述べられています。
精神科では精神疾患を「心の病」として扱い、神経科では「脳の病気」として扱う、という定義のようですが、やや牽強付会かと思われます。


>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (6)
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2006年11月15日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (6)

「精神科」もしくは「神経科」という訳語の起源について記載したサイトや書物を探していたのですが、みつかりませんでした。
どちらも対応する英語は“Psychiatry”または“Neuropsychiatry”だと思うのですが。
日本の精神医学の成り立ちと発展を考えるとドイツ語から攻めてみるべきなのもしれませんが……

ともあれ、「神経科」という言葉の存在意義としては、@IT(アットマーク・アイティ)というサイトでカウンセラーの谷地森久美子先生が述べられているように「イメージ的に『精神科』よりも『神経科』の方が、“(病院に対する)偏見”や“抵抗”が少ないだろうという、利用者側に立った病院の配慮の1つ」というのが正しいところだろうと思います。

こうした「配慮」は「精神科」と「神経科」のあらゆる順列組み合わせをも生むこととなりました。同じく“psychiatry”を意味し、同じ病気を対象としているであろうと考えられる科が、病院ごとに、実に紛らわしい標榜の仕方をしています。

大学病院についてざっと検索してみた限りでも――
精神科:浜松医科大学、昭和大学病院など
神経科:岐阜大学、東京医科大学病院など
精神神経科:福岡大学、神戸大学、獨協医科大学など
精神科神経科:山口大学、九州大学病院など
神経精神科:聖マリアンナ医科大学、埼玉医科大学、東北大学病院など
神経科精神科:金沢医科大学、鹿児島大学病院など

全部まとめて「精神科」でもいいように思われるのですが、「配慮」はしつつ、自科のアイデンティティを保とうと苦心惨憺した結果がこのような小手先のバリエーションなのでしょう。
むしろ患者さんたちに混乱をもたらしているようにも思えるのですが、患者さんの中にも確かに、「自分は精神科ではなく神経科の患者である」ことに拘られる方もおられるので、「精神科」だけを標榜科名にしてしまうとそれはそれで不都合が生じるのかもしれません。患者さんが受診するための心理的ハードルが高くなってしまい、受診すべき方が受診しなくなってしまったり、受診が遅れて、結果的に予後が不良になってしまうかもしれないからです。

また、医療機関側にとっては、患者さんの予後を考慮するとともに、経営面からも患者さんに受診してもらいやすい科名を標榜することが必要な側面もあります。
それほど営利追求型ではないはずの大学病院でも上記のような有様なので、私立病院やクリニックともなれば看板に何と書くかは色々な意味で重要です(私もこのブログに名前を付けるにあたって熟慮を重ねた結果、「精神科.net」ではなく「メンタルクリニック.net」にしました(笑))。
その帰結として、きわめて多様な「精神科」の異名や別名や通り名が街に溢れることとなりました。

本来は全く異なる科であるはずの「心療内科」が、そうした「精神科」という名詞の代替物の1つとして使われ始めたところに、現在の混乱の根の1つがあるように思えます。

次回からはついに本丸の「心療内科」について、です。

>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (7)
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2006年11月21日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (7)

さて、心療内科についてです。
この「精神科と神経科と神経内科と心療内科」と題した一連の記事は,実は精神科と心療内科の違いを理解していただくことをそもそもの目的としています。

実は,精神科と心療内科の区別はきわめて明白で,本来は混乱が起きるはずなど無いほどです。

心療内科は1963年に日本で生まれた診療科です。
発祥は九州大学。本家本元であるその九州大学病院心療内科のサイトには,心療内科の歴史や定義が明記されています。
肝と思われる部分を引用してみましょう。


心療内科では,「心身症」という病態(病状)を示す患者さんに対して,心身医学的なアプローチ〈心身医学療法〉を行っています.

心身症がどういう病気かは,“心身医学の新しい診療指針”(日本心身医学会教育研修委員会編,1991年)において決められています.それをわかりやすく言い換えると,「身体の病気の中で,発症やその後の経過に心理社会的な要因が密接に関係しているものを心身症といいます.ただし,神経症やうつ病などの病気は心身症とは呼びません」,となります.


すなわち,そもそもの定義からして,神経症(≒現在で言うところの不安障害)やうつ病の患者さんが心療内科で治療を受けるのは間違いであるということになります。


>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (8)
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2006年11月23日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (8)

しかしながら現状、心療内科でうつ病や不安障害(パニック障害、強迫性障害、社会不安障害などが含まれます)と診断され、通院・入院されている患者さんは少なくないのではないでしょうか。
これは本来的には非常に危険なことです。

前回の記事で述べたように、うつ病や不安障害は本来は心療内科の対象疾患ではありません。
心療内科はあくまで内科の一種です。心身相関という視点を取り入れることで、診断や治療においてより多角的なアプローチを可能としていますが、その対象となるのはあくまで身体疾患なのです。

まっとうな心療内科医ならば――まっとうであればあるほど――受けてきた研修はこうした疾患の治療に関するものであって、精神医学の系統的なトレーニングを受けてはいません(逆に精神科医は心身症の診断や治療に関しては十分な知識や技能がありません)。

精神科で扱う薬剤を適正使用するためには、専門的な勉強が不可欠です。
精神疾患の治療に必要な精神療法的な知識や技術に関しても、単に「心の問題に興味がある、理解したい」という個人的なモチベーションだけで習得できるものではありません(専門的な研修を受けていないにも関わらず心療内科を標榜する一般科出身のドクターに、我流の精神療法を駆使するタイプの方が多いように感じられます)

したがって、精神疾患を患われている患者さんが心療内科を受診しても適切な診断や治療を受けられない……はずなのですが、実際には必ずしもそうはなっていません。
心療内科を標榜する医療機関において、適切な診断や治療を受けられていない患者さんは少なからずおられるのですが、多くの場合それは心療内科を受診したために生じる事態ではないことがほとんどです。

このあたりは、いくぶん込み入ったお話になってきます。


>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (9)
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2006年11月24日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (9)

事程左様に、心療内科と精神科は、形成外科と整形外科以上に異なるはずの科です(却ってわかりづらい喩えだったでしょうか)。
にもかかわらず、精神科にかかるべき患者さんが心療内科を標榜する医療機関を受診したとしても、「間違ったドアをノックした」ことによる不利益を被る可能性はほぼ0です。

なぜでしょう?
答は簡単で、心療内科を標榜している医師の9割が精神科医だからです。

心療内科を講座としてもっている医学部や医大は日本で5つしかありません。
講座があるということは、教授がいて、助教授がいて……という確立した医局組織があり、医学生が心療内科の講義を受け、実習を行い、研修医が訓練を受ける体制が整っていることを意味します。

心療内科が標榜名として認められたのはほんの10年前のことですが、現在では心療内科を標榜する医療機関の数は3000近くにも上ります。
それに見合うだけの心療内科医を、5つの大学医学部・医大だけで養成することができるはずもありません。

標榜科とは「病院や診療所が外部に広告できる診療科名のこと」で、医師でありさえすれば、医療法第70条で定められた34の診療科名から自由に選んで標榜することができます(麻酔科のみ例外があったような覚えがあります)。
つまり、心療内科を標榜するのに、心療内科医としての研修や認定を受けている必要はありません。

この結果、1996年以降、多くの精神科医や精神科医療機関が「心療内科」を標榜するようになったのです。

※本記事執筆に当たっては、関西医科大学 心療内科学講座のサイトを一部参考にさせていただきました。


>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (10)
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2006年12月28日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (10)

前回は、実は心療内科を標榜している医師の9割が精神科医であることを述べました。

それ故、精神疾患をわずらっている患者さんが心療内科を受診しても、「門外漢」である心療内科医による診察を受ける可能性は10%程度に過ぎず、ちゃんとした心療内科医ならばその患者さんが自分の守備範囲外であると判明した時点で精神科を紹介するでしょうから、最終的にはどう転んでも患者さんは精神科医による治療を施される理屈になります。

しかしながら、最終的には受診科が最適化されると仮定した場合でも、心療内科標榜医の9割が精神科医であるという事態は、

①精神疾患をわずらう患者さんが本当の心療内科医を受診してしまう。
②心身症をわずらう患者さんが心療内科のトレーニングを積んでいない自称心療内科医(実際には精神科医)を受診してしまう。

といった問題を引き起こしうるわけです。

①の場合も②の場合も理想的には各々適切な科を紹介されるわけですが、患者さんは本来は不必要な初診料と文書作成料(紹介状の作成料)の支払いという経済的不利益を蒙りますし、病気による心身の不調を抱えたままいくつもの医療機関を行き来しなければならないのはかなりの負担でもあります。

こうしたことが自明であるにも関わらず、何故、広義の詐称とも言い得る標榜の意図的錯誤がまかり通っているのでしょうか?


>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (11)
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2007年01月09日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (11)

結論から申し上げると、現在の「心療内科」という標榜科名の用いられ方は、かつての「神経科」の用いられ方と酷似しています。

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (6)でも述べましたが、「神経科」とは、「精神科」の持つネガティブなイメージを和らげるための発明であると言え、「利用者側に立った医療機関の配慮の1つ」とされています。しかし、長く使用される中で、「神経科」は次第に「精神科」と同一視されるようになり(本来が同一のものなのですから当然ですが)、「精神科」と同様の偏見に晒されるようになってきました。

そこに、絶好のタイミングで現れたのが「心療内科」であった……と、少なくとも個人的には思っています。

字面からして「精神科」とは異なるイメージを備えていて、「心の問題を治療する内科」とも読める「心療内科」は、精神科受診への心理的抵抗を持つ患者さんたちを医療に繋げるための絶好の方便であると考えた精神科医が多数いたのではないでしょうか。
こうした精神科医たちのモチベーションの源は、患者さんたちに治療を受けてもらいたいという純粋な医学的熱意だったかもしれませんし、開業するにあたって「精神科」よりも「心療内科」を標榜した方が患者さんが集まりやすいので儲かりそうだという打算であったかもしれません。
いずれにせよ、少なからぬ精神科医が半ば確信犯的に「心療内科」を標榜し、一方で少数の心療内科医が当然ながら「心療内科」を標榜していることで、患者さんに混乱をもたらしていることは事実でしょう。

精神医学の立場からは、患者さんにとっての間口が広がったという点において、この事態は罪よりも功の方が多いといえるのかもしれません。
しかし心療内科という標榜名の「借用」は、精神科医療に対する偏見が甚だしいなかで行われた緊急避難的措置にすぎず、問題解決のための根本的な解決方法であるとは言えません。


>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (12)
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2007年01月18日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (12)

かつて精神科では非告知投薬が当然のように行われていました。

非告知投薬とは、患者さんに病名を告げずに薬物を投与することです。
もちろん、非告知投薬が正当化される状況というのはあります。たとえば、精神科でなくとも、救急医療の現場では、意識が無い患者さんに投薬を含む処置が行われますし、また行われるべきでしょう。

精神科では、病識がない一部の疾患のある時期においては、非告知投薬をせざるをえません。幻覚や妄想に完全に支配されて興奮している統合失調症の急性期の患者さんや、自殺念慮が強いうつ病の患者さんなどがこれに当たるでしょう。
このような場合でも、一定の症状改善が得られれば、大多数の患者さんで病名の告知と、その疾患の治療のために必要な治療についてインフォームド・コンセントが得られます。

しかし、以前は、多くの精神科医が、ほとんどの患者さんに対して病名の告知をしませんでした。

今でもなお、告知をしない医師がいます。

彼らの言い分はこうです。

「患者やその家族は精神科の病気というものに畏れや偏見を抱いており、病名を告知すれば動揺するし、主治医に対して陰性感情を抱く。告知を強行しても、疾患を受容できないので治療を受け入れることもできず、怠薬や拒薬、通院の自己中断へと繋がる。これは結局は患者にとっての不利益である。したがって、患者の利益を最大化するために非告知投与は許容されるべきである」


>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (13)

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2007年01月19日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (13)

一見もっともらしく聞こえはしますが、ほんの少し長期的な視点を持つだけで、彼らの主張の重大な欠陥に気がつくでしょう。

精神疾患の多くは長期的な治療を必要とします。この治療にはもちろん薬物療法も含まれます。

例えば統合失調症の場合、いったん発症してしまえば生涯に渡る服薬が必要です。

双極性障害(躁うつ病)においてもやはり、病相が治まった後も服薬が継続されるべきであるとされています。

それどころか近年では、「心の風邪」と、あたかも一過性の病態であるかのように形容されているうつ病でさえもまた、従来信じられていたよりもずっと長い期間、抗うつ薬の服用を続けたほうが予後が良好なことが知られるようになっています。

非告知投与は、これらの病気の急性期、特に入院している患者さんにおいては、症状改善に寄与するかもしれません。

しかし、その後はどうなるでしょう?


>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (14)
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2007年01月20日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (14)

退院した後も必要な治療の継続――規則的な通院と服薬には、患者さんご自身の治療への意欲が不可欠です。

患者さんが治療意欲を持つためには、判断力が回復した時点で病気に関する適切な説明が与えられ、継続的な治療の必要性を十分に理解した上でそれに同意することが必要です。

精神疾患の病名を告知することを畏れる医者はまた、精神疾患が慢性疾患であることを告げることも躊躇います。
精神の病で、一生薬を飲まなければならない――そんなことを告げることは死の宣告にも等しく、患者に与える衝撃は計り知れない。実際、自殺の危険すらある。
だから病名を告知しないし、治療期間も明言しない。

旧弊な精神科医はそう信じているか、自らの責任放棄を正当化するためにそう信じようとします。
しかし、彼らの考え方は、精神疾患や精神障害者に対する偏見に他なりません。
精神疾患に対する最も根強い偏見を抱いているのは精神科医であるというのは、何とも皮肉なパラドックスだと言えるでしょう。



>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (15)

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2007年01月21日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (15)

非告知派の医師たちは、診断の見立てがついていたとしてもそれを告げないわけですが、さすがにそれでは患者さんを治療に導入することができません。
病気でなければ治療の必要はないからです。

彼らは、そのような場合に用いるいくつかのツール――というか、お定まりの説明方法を持っています。

いちばん頻用される彼らの伝家の宝刀は「自律神経失調症」で、この鵺のような「病名」を告げることで彼らはいかなる治療を施してもよいフリーパスを手に入れます。

家族が語る「物語」に便乗するのも、よく使われる方法です。
家族はそもそも心因論に傾きがちで、自分の子供や親や妻や夫が精神科を受診せざるをえなくなった状況を、仕事場や学校や家庭内で患者さんが感じてきたであろうストレスと関連付けて考えます。
非告知派の医師たちは、ご家族のこの心性を利用します。
仕事場や学校や家庭内でストレスを感じていない人など存在しないので、どの患者さんにもそれなりの物語がみつかります。

そのようなストレスがあれば多少神経が参ってしまっても仕方がない。現在はストレスのせいで自律神経のバランスが崩れて色々な症状が出ている状態。休養やカウンセリングが必要だが、よく休めるように、安定剤も飲んでいただくことにしましょう――例えばこのようにして、彼らは実際の疾患や処方する薬の説明を一切することなく、発症から治療開始までのストーリーを組み立ててしまいます。


>>>精神科と神経科と神経内科と心療内科 (16)

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2007年01月23日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (16)

竹を割ったような診断が下せることは稀な診療領域なので、告知派の精神科医といえど初めから明確な診断名を患者さんに伝えられるわけではありません。

急性期には病名告知が危険であったり、不可能であったりすることは確かにあるので、告知という行為に拘って患者さんがどんな状態であっても病名を伝えるといった機械的なやり方をとることもありません。
しかし診断が付かなくても対症的な治療は可能ですし、診断が付いても伝えられない場合には症状改善の後に診断を伝えればよいわけです(この場合には非告知派の医師と類似の治療導入法をとるかもしれません)。

ただ、薬の作用と副作用については、患者さんか、それが難しければご家族に説明します。
説明しなければ危険だからです。
比較的安全な狭義の安定剤(ベンゾジアゼピン系安定剤:ワイパックスやデパスなど)であっても人によっては脱力による転倒や、過鎮静、健忘といった副作用が出現することがあります。
以前に述べたように、一定期間服用すると依存性も問題になります。
SSRI(選択的セロトニン再取り込阻害薬:ルボックスやパキシル)では嘔気や嘔吐、性機能障害、そして何より自殺問題で注目されたactivation syndromeを心配しなければなりません。
抗精神病薬ともなれば、アカシジアやジストニア、パーキンソン症状に始まって、過鎮静や体重増加、果ては悪性症候群といった重篤な副作用までもが現れることがあります。

想定される副作用を告げ、どれが危険であってどれが危険ではないか、危険な副作用の予兆はどのようなもので、それが現れたらどう対処すべきか――それ説明しなければ患者さんは服薬を開始しても副作用に戸惑い、すぐに薬をやめてしまうでしょう。もしくは、事故が起こるかもしれません。



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精神科と神経科と神経内科と心療内科 (17)

非告知派の医師たちは、うつ病の患者さんにパキシルを処方する場合にも、統合失調症の患者さんにエビリファイを処方する場合にも、不安障害の患者さんにデパスを処方する場合にも、すべからく「自律神経のバランスが崩れているので安定剤を処方します」程度の説明しかしません。

彼らは副作用について説明すると患者さんが薬を飲まなくなってしまうと考えるので、そういった話題には触れたがらない傾向があります。
患者さんや家族が副作用を訴えても取り合わないのも、この群に属する医師に多いタイプの対応であるように思われます。

封建的な医師-患者関係が当たり前であった頃には、このやり方は、精神科にかぎらず通用したのかもしれません。
また、精神科治療といえば収容型の長期入院が標準的だった時代には、告知の必要は希薄だったのも確かでしょう。

しかし患者さんの権利意識が向上し、精神科といえども適切なインフォームド・コンセントが求められるようになりつつある昨今、非告知派のやり方があまりにも前時代的であることは否めません。

精神疾患の病名告知が患者さんやそのご家族にとって辛い宣告であることは違いありませんが、その辛さに共感し、支え、疾患を受容させた上で治療同盟を築いていくのが精神科医の本来の姿勢であるべきでしょう。


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2007年01月31日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (18)

長々と寄り道をしてしましまいましたが、私は心療内科と精神科の意図的な混同が、非告知投与――古き悪き時代の精神医学の弊害――の新しい形だと捉えています。

精神病だと言う代わりに自律神経失調症だと言い、精神科と呼ぶ代わりに心療内科と呼ぶ。

偏見のために生まれた必要悪と言ってしまえばそれまでですが、いずれの場合も患者さんは自分がどのような病気で、どのような治療が必要かを理解することができません。
理解する必要もありません。

こうした言葉遊びによる不適切な説明と同意、不適切な治療は、実は常に医者の側だけに一方的な責任があるものとは言えません。

むしろこの文脈における医師と患者は、一種の共犯関係にある場合があります。

自分が精神疾患であるかもしれない(もしくは、自分の家族が精神疾患であるかもしれない)と考える人が、「あなたは精神疾患ではない」、「あなたのご家族は精神科の患者ではない」と言ってくれる医者を能動的に選ぶ傾向が確かにあるのです。


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2007年02月07日

精神科と神経科と神経内科と心療内科 (19)

精神医学は今、大きな過渡期にあります。

治験環境は依然お粗末ですが、それでも何とか、世界標準に近い薬物療法が行えるくらいの薬物のラインナップは出揃いつつあります。
しかし、薬の玉数が多ければ治療がうまく進むというものではありません。
それを使いこなすだけの技量が医師の側になければ薬も十分には効果を発揮できないからです。

そもそも、精神疾患は薬物療法だけで治せるというものでもありません。

学問としての精神医学の進歩とともに、臨床の場においても、かつてより高い治療ゴールが要求されるようになっていくでしょう。
入院から外来へ、収容から社会復帰へ、という流れは、医療経済という側面からも、今後ますます加速していくことは必定です。
高い治療ゴールを達成するためには、患者さんやそのご家族が病気について十分な理解をし、積極的に治療に取り組む姿勢が欠かせません。

医師の側が知識や技術を磨き、精神科臨床に対する考え方を改めるのと同時に、患者さんの側も疾患を受容し、疾患について学び、本当の意味で優れた医師や医療機関を判別することが求められるようになるでしょう。

そのための取っ掛かりとしては良いテーマなのではないかと考え、ここまで19回に渡って「精神科と神経科と神経内科と心療内科」の違いについて述べてきました。

次回以降は臨床に即した、もう少し各論的なお話をしていこうと思います。


(この項終わり)
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